TALK THEME 01今までの歩みを教えてください
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横尾
1991年に業務職として入社。8年後の1999年に担当職に変わり、現在に至るまでキャリアのほとんどにおいて航空機リースファイナンスに携わっています。もちろんその他の業務、たとえば戦略企画室で本部の経営戦略の立案・策定に携わったり、商品を変えて鉄道車両リースを担当しこともありますし、短い期間でしたがロンドン駐在も経験しています。現在は、部長補佐として、輸送機械第二部に所属しています。部の名前だけを聞いてもまったく分からないと思いますが(笑)、昨年4月の機構改組により発足した船舶及び航空機の売買事業などを束ねた部です。 -
島田
私は1999年の入社で、当初の配属は財務部。その後プロジェクト金融部や米国での財務研修員を経た後、社内転職制度を活用してエネルギーセグメントへ転出しました。学生の頃から世界史が大好きで、近代の戦争は大体資源を巡る争いだなと考え、就職活動時には日本のエネルギー安定供給に貢献したいと三井物産への就職を決めたので、その思いを実現したという感じです(笑)。ただ、振り返ると財務部での約5年間は私の土台となる非常に貴重な経験だったとも感じています。以来、西豪州、赤道ギニアのLNGプロジェクトや新規LNG開発、E&P、また電力会社向けの石油販売などを担当した後、豪州のLNG新規事業推進の為、現地合弁会社へ出向し政府との折衝やパートナーとの事業開発を担当しました。帰国後は産休育休を経て、2020年にアブダビ事業室に帰任し、現在は室長として当社が参画するLNGプロジェクトの事業運営を担っています。 -
土田
私の入社は1994年です。コンビニ向けの容器営業を担当した後、当社子会社(ベンダーサービス株式会社)に出向し、コンビニ原材料の一元管理の仕組みづくりに取り組みました。2009年からは米国ダラスに駐在し、現地コンビニ向けの物流、オペレーションをジェネラルマネージャーとして推進。2014年に帰国し、別の当社子会社(リテールシステムサービス株式会社)における基幹システム導入などを担った後、2018年からは室長としてファーストフード向け原材料の輸入商売を担当しております。現在は、ファーストフード向け輸入商売を持って、子会社(三井物産リテールトレーディング株式会社)に出向し、部長を務めています。
TALK THEME 02ご自身の今までの挑戦と創造は?
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横尾
難しい質問ですね(笑)。 -
土田
そうですね(笑)。私の場合はキャリアを通して、小売・外食を支える仕組みづくりに取り組んできました。その中で人々のライフラインを担う企業のサプライチェーンを支えているという大きなやりがいを抱きながら、日々、高いモチベーションで仕事に向き合ってきました。当業界は環境変化が激しく、同じやり方を続けていては同レベルのサービスを実現することすら難しいのが現状です。常に改善、そして進化を行い「ベスト of ベストサービス」の提供を行うことが真にライフラインを支えること。日進月歩の変化に向き合い、時代と切磋琢磨できることが私の挑戦と創造と言えるかもしれません。 -
島田
確かに、毎日が挑戦と創造というのはその通りだと思います。その中でも、私には特に忘れられない仕事があります。 -
土田
何ですか? -
島田
それは東日本大震災の記憶です。当時、私は発電用原重油のマーケティングを担当しており、地震発生時も旧東京電力ビル内で年度初めの契約交渉を行っていました。甚大な被害が明らかになっていく中、東日本に向かっていた原重油船の向け先変更や原発停止を石油火力で補填するための緊急調達などに追われたのを今でも鮮明に覚えています。中でも大きな問題だったのは原発依存度が高かった西日本における電力需給の逼迫です。電力会社と連携し、韓国に重油タンクを借りて小分けにして外航船で直接発電所に原重油をピストン輸送するというスキームを開発しましたが、その後も課題は山積みでした。内航船しか受け入れられない各発電所における港の税関と折衝し外航船を受け入れる特約を得ることからはじまり、内航船と同様サイズの外航船を確保するため香港の船主へ直接交渉に赴いたり、電車を乗り継いで各発電所と外航船受け入れの打ち合わせを重ねたり、中でも大変だったのは外航船船員のオペレーションを内航船レベルにまで引き上げること。韓国のタンクで揚げ下ろしの特訓をしてタイムを縮めていきました。内航船では4時間でできるところを当初16時間かかっていたのが、8時間になり、回を重ねて4時間で実現できるようになったときは本当に嬉しかったです。めげそうになることもありましたが、諦めずに挑戦と創造をしていくことで、突破できると実感した出来事でした。 -
横尾
すばらしいです。皆さん、仕事における挑戦と創造を語っていますので、私はキャリアという面から話せたらと思います。上司に恵まれたこともあり、業務職ながら担当職の仕事をさせてもらえるようになったのは入社3年目くらいからです。担当職の仕事はとにかく面白く、入社8年目には上司の推薦もあり担当職へ職転換。しかし、同期の男性はすでに多くの経験と実績があり、業務職として面白がって取り組んでいた状態から猛烈な焦りへと気持ちが変化していきました。そのため当時は会社近くにウィークリーマンションを借り、がむしゃらに仕事をしていました(笑)。そして今、自分にとって挑戦と創造とは?と問われると、目の前にある様々な課題に対し、大小の如何を問わず、手を抜かず面白がって取り組んできた、その積み重ねかなと感じています。私たちの毎日は映画やドラマではないので、何かに挑戦して何かを創造した、めでたし、ピリオドではありません。キャリアということを考えずに、毎日毎日1ミリでも成長するために、真摯に誠実に挑戦と創造を続けていくことをこれからも面白がりながらずっと続けていけたらと、そして、それがキャリアになっていくんだと自分では感じています。