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インタビュー : 専務執行役員 人事総務部長 平林 義規

強い“個”の協働こそが、未来を創り、世界の課題を解決する力となる。

平林 義規

Yoshiki HIRABAYASHI

専務執行役員 人事総務部長

1986年、商学部卒業後、三井物産入社。食品部加工食品第一グループの配属となり、主に加工食品の国内販売業務に携わる。1988年、海外修業生として旧ソ連に派遣。語学研修及び現地での実務研修に臨む。1990年、東京に帰任し、海外開発事業部第三営業室に配属。95年にはシンガポール駐在となるが、90年以降シンガポール時代を含めて、アジアにおける不動産開発事業を担当する。2002年、人事部人材開発室次長として採用業務等に携わった後、2005年からは秘書室に異動となり、社長秘書業務も経験。以降、2008年、三井物産モスクワ有限会社副社長、2015年、コンシューマサービス業務部長、2017年、執行役員流通事業本部長を経て、2021年4月より現職。

三井物産に継承される重要な価値観を表現するものの一つである、“人材主義”という言葉は、決して字面だけの形式的なものではない。上司・部下、先輩・後輩といった人と人との関係、そして、組織の隅々にまで浸透した人材、成長への配慮、目配せが、“人材主義”という言葉には集約されていると言っていいだろう。ここでは、さまざまな事業の現場を経験してきた、専務執行役員人事総務部長/平林義規へのインタビューによって、三井物産における“人材主義”の実像、そして、強い“個”を育んでいくために求められるもの等を検証してみたい。

激動期の旧ソ連の中で獲得した姿勢

部長は1986年のご入社ですが、88年から海外修業生として旧ソ連に派遣されておられます。所謂ベルリンの壁崩壊は89年11月ですが、当時はゴルバチョフ、ペレストロイカの時代で、ソ連国内はまさに激動期にあったのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

おっしゃる通りですね。88年に先ずレニングラード大学(当時、現サンクトペテルブルグ大学)で語学研修を受け、その後モスクワで実務研修に臨みましたが、行った時点ではまさか91年にソ連が崩壊するなどとは思いもよりませんでした。しかし、社会・経済システム全体が悲鳴を上げていることはひしひしと感じられる、そうした状況でした。通貨ルーブルの価値は暴落しており、肉も野菜も商店の棚には並ばず、闇マーケットでドルで取引されている。人々の暮らしも当然厳しいわけですが、そうした中でも心の豊かさを失わず、前向きに生きている方々にも数多く出会いました。こうした一国の激変期を現場で体感できたことは、その後の私にとって大きな財産になっています。

その財産になったものとは、例えばどのようものでしょうか?

よく、事がうまくいかなかった場合を見越してプランB、Cを用意しておく、なんてことを言いますけれども、当時のソ連ではとにかく予想通りにいかないことは大前提で、プランB、C程度ではとても終わらない。日本の常識では測れないような、あらゆる事態に対処できるように備えを怠らないようにするといった姿勢を身に付けたことでしょうか。それこそ、商談を兼ねてレストランで食事をしていると、いきなり警察が入ってきて先方が連行されてしまうといった、唖然とするような事態も起こる。そうした予測もつかないような出来事が日常茶飯事になっているような状況の中で、どう動けばいいのか……危機管理的な感性も磨かれたと思いますし、ある種腹が据わったというか、環境への対応能力のようなものは随分鍛えられたと思います。

当時手掛けられたお仕事は、どのようなものだったのでしょうか?

食料の輸出入を担当していましたが、印象に残っているものとしては、米国産の小麦、コーンといった穀物を初めてソ連に輸入するといったこともやりました。そもそも、かつてのソ連は穀物の輸出国だったのですが、ペレストロイカの頃になると計画経済が破綻し、輸入ポジションに転じるようになったわけです。しかも、経済的に厳しい状況がありますから、穀物メジャー等は商談に応じてくれない。そこで、日本の商社ならなんとかしてくれのではないかということで、穀物公団から我々のところに話が持ちかけられたというような経緯でした。当然、三井物産としてもソ連ビジネスのリスクは認識していますから、私の方で公団側と交渉を重ね、最終的には東京とシカゴから部長クラスにモスクワまで来て貰って公団幹部との会談をアレンジし、ようやく輸入を実現できた、という形でした。
あと、モスクワのホテル開発の仕事に関わったこともありました。この案件自体はさまざまな経緯で頓挫したのですが、これがきっかけとなってその後アジアの不動産開発を担当することになり、そこで出会った先輩と共に取り組んだ仕事は、私にとってかけがえのないものとなりました。

社会人としての基軸を与えてくれた出会い

その先輩と共にされたお仕事について、また、それらが平林部長の中に遺したものについても、是非お聞きしたいと思います。

1990年に日本に帰ってきて、95年にはシンガポールに赴任することになりますが、その間に担当したのは、先にもお話ししたようにアジアにおける不動産開発です。その先輩とは、シンガポールを皮切りに、ミャンマー、インドネシア等で7〜8件の開発を一緒に手掛けました。彼のオーソリゼーションのもとに私が現場へ行って交渉し、稟議書(※注)を書いて案件を通す、というような関係の中で仕事をしていたわけです。私がシンガポールに駐在してからは、彼が東京側の上司という位置づけでした。
当時手掛けたものの中で比較的良く知られているものとしては、ミャンマー初の国際水準の工業団地として、ヤンゴン北部に開発されたミンガラドン工業団地があります。これは、三井物産とミャンマー建設省住宅局が共同で開発を手掛け、日本を始めとする外資系企業に工場建設用地として販売するという事業で、98年に器自体は竣工したのですが、三井物産はその後、カントリーリスク等諸々の要因を考慮して撤退を決断しています。

この先輩から学んだものは様々あるのですが、先ず何よりも、先輩として、上司としての姿勢と言うか、どんなに困難な状況に直面しても決して逃げることがない……本当に微動だにしないわけです。それは立派なものでした。そこには、会社やパートナーに対する責任を全うするという意志であったり、部下を守るという思いであったり、さまざまなものがあったのだろうと思います。また彼は、徹底して仕事を部下に任せるんですね。そして、任せた後は絶対に逃げない。私にとって彼が示してくれたものは、社会人としての、上に立つ者としての一つの基軸になっていることは間違いありません。彼は惜しくも比較的若くして亡くなってしまったのですが、今でも、年に一回当時の部下達が集まって墓参りに出かけるのが恒例になっています。それだけ、関わった多くの人に慕われ、強い印象を遺した方だったということでしょう。
この先輩は、個人的にも本当に深く関わった方ですが、振り返ってみると、さまざまな局面で多くの先輩や上司の方々に助けていただいたという思いはありますね。法務部の先輩に適切な助言をもらって、苦労していた案件をスムーズに仕上げることができた、といったこともありましたし、一生懸命頑張っていると必ず誰かが見てくれていて、手をさしのべてくれる……三井物産にはそうした文化が根付いているというのが、私の実感でもあります。

※重要案件に対する実行計画書。
事前に関係者に回議して社内の機関決定を得るために用いる。

強い“個”を育むことを起点として

今のお話は、三井物産の“人材主義”のあり方を象徴するようなエピソードでもあると思いますが、ここからは少し、人材開発全般に話題をシフトしていければと思います。2020年5月に発表された中期経営計画の中にも、「多様な“個”の強化」「事業経営人材の育成・活用」といった、人材にフォーカスしたメッセージが数多く登場しますが、こうしたテーマにどのように取り組んでいかれるのかということについて、人事総務部長としてのお考えをお聞きかせください。

人材開発というのはやはり、時代の中で変わっていくものと変わらないものがあるだろうと思います。今、三井物産の中で若手社員として活躍してもらっている30代前半くらいまでの社員はミレニアル世代と呼ばれ、新卒採用でこれから出会う方たちはZ世代などと呼ばれますが、こうした新しい世代が持っている価値観、問題意識といったものが、今後世界的なメインストリームになっていくことは間違いない。従って、三井物産の経営、事業開発といったことを考えるうえでも、彼らが活躍できる環境を用意していくことは極めて重要なテーマになっていくだろうと考えています。
一方で、変わらないものというものも確かにあって、その中核にあるのは、仕事を通じての個人の成長ということでしょう。三井物産は、強い“個”の集まりこそが強い組織を作ると考えていますが、強い“個”とは間違いなく、現場の中で体験する仕事の手応えの中でこそ育まれていくものだと思います。先に私の体験として、三井物産には部下に仕事を任せ、それをしっかり見守る文化があるというお話しをしましたが、この部分は三井物産の人材育成の基盤として、これからもしっかりと守り、育てていかなければならないものでしょう。“任せる”というのは上司からすると、実はかなり覚悟と度量が求められることですが、それをやっていくのが上司の責任なのです。そして、小さな成功体験でもいいから先ず若手社員に仕事の中で確かな手応えを掴んでもらい、それをステップにしてまた次のチャレンジに向かう……強い“個”とは、こうした現場の中での挑戦と成長の循環によって育まれていくものだと私は考えています。

なるほど。それでは、“事業経営人材の育成”ということについては、どのようにお考えでしょうか?

やはり、経営というのは全人格的な営みだということが前提としてはあると思います。もちろん、ある会社、事業の経営を任せるという時に、コミュニケーション能力やリーダーシップといったスキルだけではとても追いつきませんから、財務・会計やDXの知識に加え当該事業に関する深い理解や経験を備えているプロフェッショナルであることは必須でしょう。しかし、これだけで経営ができるのかというと、これも違う。先ほど申し上げたような、現場の中で鍛えられた“強い個”という土台の上に、やり遂げようとする強い意志や情熱を持った人材が活躍し、確かな経験を積むことができる。そして会社はしっかりと成果を評価するなど制度面を含めた活躍の後押しをすることが非常に重要になってくるでしょう。こうした、本質的な意味で事業を経営できる人材を、会社のケイパビリティとしていかに蓄えていくことができるかというのは、これからの三井物産にとってますます重要なテーマになってくることは間違いありません。Mitsui Leadership in Actionという三井物産ならではのリーダーシップを定義し、グローバルな行動基準として活用していく取り組みも始まっています。また、若い時から部長クラスやグループ会社幹部の仕事に飛び級でチャレンジできるキャリアチャレンジ制度も作り、意欲の高い若い世代に経営へのチャレンジを促していきます。

共に“未来を創る”若い力のために

さまざまなお話しをうかがってきましたが、それでは最後に、三井物産はこれは約束できるということを、学生の皆さんへのメッセージとしてお話しいただければと思います。

先の話と重複するかもしれませんが、三井物産は皆さんに仕事を任せ、チャレンジを促して、しっかりした現場経験を積んでもらいます。そこで掴んだ成功体験を足がかりにして、次はもう一段階上の目標にチャレンジし、その次はさらにもう一段階上を目指す……こうしたサイクルを回していくことで、社会人として、企業人としての確かな成長を促していく文化、風土が三井物産には根付いています。社会人として、また人間として高いレベルを目指したいと考える方にとっては、またとないフィールドが用意されている場が三井物産であるということを、私は先ずお約束したいと思います。

あと一つ、ここでお話ししておきたいのは、旧三井物産(※注)初代社長、益田孝の時代から、三井物産は営利企業である傍ら、国益や社会の利益の実現を目指す仕事を営々と続けてきた会社であり、その精神・姿勢は今も確実に受け継がれているということです。SDGsに象徴されるように、現代の世界はさまざまな課題を抱えているわけですが、こうした課題解決にあらゆる産業との接点を切り口にして、グローバルに、大きな規模感を持って取り組むことができる企業は、世界の中でもそれほど多くはありません。三井物産は間違いなく、そうした企業のうちの一つだと私は考えています。
三井物産の存在意義とは、“未来を創る”ことにある……私は、そう考えています。世界の課題解決に貢献しながら、共に未来を創っていく若い力に一人でも多く出会えることを、私は心から願っています。

※戦前に存在した旧三井物産は、GHQによる占領統治政策の流れの中で一旦解散を命じられている。従って、旧三井物産と現在の三井物産は、法人格的には、全く別個の企業体である。